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福岡県嘉麻市出身の加藤一二三は、子供の頃から福岡のダイヤモンドと言われるくらい有名な棋士です。
「僕は、8割の力が出せたいらいと思って指しているんだよ」と言って63年間もプロの棋士として活躍されていました。
よく色紙に「直感精読」と書いていたように、直感を掘り下げて良い手を見つけるタイプの棋士です。
色紙の通り、こんなに沢山の手を読んでいるのか、こんなに早く手が見えているのかというインパクトは大きかった、と羽生善治も語っているほどです。
昭和57年の名人戦で、中原「玉」に即詰め(王将を詰めていくこと)を見つけ、ひょーっと立ち上がり、即詰めに打ち取って加藤新名人誕生となります。
その時、加藤一二三は即座に席を立ち、階段を降りて実家に電話をかけ「お父さん勝ったよ」と報告したそうです。
加藤一二三にもそんな頃があったのですね。
加藤一二三が将棋は、新しい戦いの展開がまだまだあり無限です、と言っているように、将棋の指し手のバリエーションというのは、無限にあると言われています。
その数10の220乗は、天文学者が扱っているのと変わらないくらいの数です。
指し手を考えて考え抜くというところは、天文学者が少ない情報の中でまだ分からない部分を一生懸命考え読み解いていくのに似ているそうです。
棋士は、「こういう1局を指したい」「後世に残る一手を指したい」といったように芸術家の要素を持っています。
因みに加藤一二三は、大変なことがあった時に、ベートーヴェンを聴いて気持ちを奮い立たせるそうです。
加藤一二三が42歳で名人になった頃に比べると、棋士の研究時間は3倍ぐらいに増えています。
現代の将棋界は、コンピューターを駆使した研究の時代と言ってもいいかもしれません。
対局で指した手がその日のうちに伝わって、1人で考えていたものを物凄く多くの人によって同時に考えるようになり、追いつかなくなってしまっています。
将棋は、ある部分テクノロジーの世界なので、新しい技術がどんどん出てくるため、それをどういう風に取り入れていくか、ということも大切なことだと羽生善治も語っています。
一方、加藤一二三が長きに渡って棋士として続けてこられてのは、小手先の目先の利益を取るというやり方をしなかったからだと思うとも言われています。
加藤一二三は、バッハは、自分が能力があって理屈抜きで名曲を作ったように、自分もそうあるべきだと思ったそうです。
自分も将棋の才能を持っているのだから、ひたすら将棋を指して良い将棋を指すことに尽きる、と加藤一二三は言っていますが、戦い続けることこそ人生だという姿勢は、何事にも貪欲に諦めないことの大切さを教えてくれます。
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