物事は混沌としている

江戸時代後期、博多で活躍し街の人々に慕われた臨済宗の僧侶仙厓は、60歳を過ぎてから絵を描くようになったそうです。

禅の心をユーモア溢れる絵と言葉で表し、それまでの禅画にはなかった世界を作り上げています。

仙厓の優しく楽しい絵の中に込められた深い想いは、現在も色焦ることがありません。

 

福岡市の中心にある聖福寺は、栄西が最初に建てた寺です。

仙厓が聖福寺に就任したのは、1789年40歳の時。

それから20年余り禅道場を作り、荒廃した伽藍を再建するため藩と掛け合うなど、忙しい日々を送っていたそうです。

 

福岡の初夏を彩る博多どんたくは、室町時代に始まったと言われています。

仙厓は「博多稚児舞画賛」で祭に浮かれる人々のの様子を活き活きと描いています。

その場の状況を即座に、しかも的確に描く描写力を持っているのです。

 

52歳の時「聡と明を失脚す」と宣言。

聡明であることを止めると決めた時から、スタンダードを崩す道が始まったそうです。

元々は狩野派を彷彿させる日本画を描く技術を持っていたと聞きます。

これは、長年積み上げてきたものがなければできないことですね。

 

人間はどうしても自分本位で物事を捉えがちです。

自分が下した良し悪しの判断は本当に正しいのか?と疑うのが座禅です。

座禅をすると、感覚器が休み、混沌に戻っていくとされています。

このように物事の良し悪しは、有る訳ではなく混沌としたものだということを仙厓は禅画通して表現していました。

 

62歳で住職の座を弟子に譲った仙厓は、その後、街の人々との交流を深め、ユーモア溢れる独自の絵を生み出していきました。

例えば、「たのしみは、鼻の下より花の下」とさらりと書かれた書には、花見に浮かれる人々の姿が描かれています。

このような禅画は、従来では考えられないものだったそうです。

 

仏の教えを分かりやすい絵や言葉で人々に解き続けた仙厓は、死に臨んで高層が自分の想いなどを書き残す唯幻で、「来時知来処 去時知去処 不撤手懸厓 雲深不知処」(生まれてきた者は必ず死ぬ。私は今、崖に手を掛けて放さずにいるが、手を放して落ちていく処がどんな処か私にも分からない。)と書いています。

軽やかに書かれていますが、落ちないように崖に手を掛けて必死に生きながらも、分からないものは分からないと素直に受け入れることの大切を教えてくれる素晴らしい言葉だと思います。

因みに仙厓の最後の言葉は「死にとうない」です。

 

しかし、年と共に自由奔放に描かれた仙厓の禅画は、法則などとは無関係で見る人の心を軽やかにしてくれます。

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