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情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」ということわざがあります。
『武士道』を著した新渡戸稲造の言葉ですが、時代を経るごとに「情けは人のためにならないから、かけるべきでない」という意味に誤解されるようになりました。

2001年に実施された調査によれば、この誤った意味で覚えている人の割合の方が多かったそうです。

しかし、本来の意味は「人にかけた情けは巡り巡って自分に返ってくるから、情けはかけるべき」というもの。
是非とも、こちらの意味の「情けは人の為ならず」の意識が世界のスタンダードになってほしいものです。

人は1つの道しか歩むことができません。
大工の道に進みながら料理人としても修行を積んで、二足の草鞋を履くというのは非常に困難です。
加えて、人には向き不向きがありますから、経験・素質の両面から考えて、自分1人ですべての問題を解決することはできません。

また、マンパワーには当然限界があり、いかにレオナルド・ダ・ヴィンチのような万能の天才であっても、1日24時間を超えて働くことは不可能です。
つまり、誰の協力も得ることなく物事を成し遂げるのは、課題が複雑で膨大であるほど難しいということです。

人生において、他者の助けを必要とする場面は必ずやってきます。
もちろん、お金があれば専門家を雇うことができますが、事前に専門家と友人になって恩を売っておけば、あるいは無料で協力を取りつけられるかもしれません。

言ってしまえば、情けをかけることは未来への投資という側面をもちます。

東京で500mlの水を5000円で売るのは難しい一方で、砂漠で遭難している人なら即決で購入してくれるでしょう。
人が困っているときに、そのタイミングで最も欲しているものを売ることができれば、低コスト高リターンが見込めます。
恩を売ろうとして無用なお節介になってしまったり、他人の親切に感謝してくれない相手だったり。
リターンがない場合もありますが、10人中1人が恩返しをしてくれると仮定して、1日1善を積み重ねていれば1年で36人の味方を作ることができます。

ここまで、情けが自分の利益につながるという話をしてきました。
そうした利己的な考えに則った親切は親切ではない、と言われるかもしれませんが、結果的に他者に対して優しく振る舞えるようになるのであれば、それはそれで構わないと私は思います。

始まりは偽善であっても、優しくされた人が他の誰かに優しくすることで、優しさの連鎖が生まれることもあります。
重複の読みが変わったのと同様に、「情けは人の為ならず」も時代と共に誤解の方が正しい意味として認められる日が来るかもしれません。
それでも、情けを肯定する本来の意味についても忘れないでいたいものですね。

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