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遅咲きだった松本清張

明治42年小倉で誕生した作家松本清張は、死の間際まで筆を離そうとしなかったそうです。

晩年は「時間がない」とよく呟いていたと言われています。

小説「点と線」は爆発的なベストセラーなり、その後のミステリーブームの火付け役となりました。

松本清張原作のドラマは、何度もリメイクされていますね。

 

松本清張は、一部の熱心なファンに支えられていたミステリーの世界を一般の読者へ広げる画期的な役割を果たしたのです。

「清張以前」「清張以後」という言葉が生まれ、その後のミステリー界の流れを大きく変えました。

 

松本清張は、多くのミステリーを書きましたが、いわゆる探偵小説的なミステリーは好きではなかったと思われます。

従来のミステリーは、謎解きを楽しむ探偵小説が主流でしたが、松本清張は、小説を通して人間や社会を書きたいという願いが強かった作家だからです。

 

しかし、小説を書くきっかけとなったのは、昭和25年の1等30万円の懸賞小説募集の記事です。

それまで小説を書こうなどと考えたこともなかった清張でしたが、現在の価値で300万円にもなる懸賞金は魅力だったようです。

 

西南戦争で西郷隆盛の軍隊が発行した紙幣・西郷札で一攫千金を狙った男を書こうと、家族が寝静まってから書き上げた小説は、3等に入選し賞金10万円を獲得41歳の時でした。

 

自分が書いた小説が活字となった嬉しさから、奮い立つように筆を取り書いたのが、芥川賞を受賞した「或る「小倉日記」伝」です。

作家1本で生活するようになったのは、47歳と遅咲きです。

 

清張は、犯人が犯罪を犯すのは、何かやむにやまれぬ事情があるに違いない。

そのやむにやまれぬ事情(動機)を追求すれば、人間を書くこともでき、社会を書くことができる、というスタンスを取っていました。

 

ミステリーは、それまで探偵小説と呼ばれ、知識派の作家から軽蔑されていた分野でありましたが、清張の作品には名探偵も奇抜なアリバイ崩しもありません。

主人公は、いずれも平凡な市民や地味な刑事であり、犯罪の舞台もごくありふれた日常です。

 

特に、典型的な悪人ではない、普通の人が何かの事情で悪人になる。

世の中には心に様々な闇を持っている人がいることを炙り出す清張の小説は、没後27年経っても多くの人の心を掴んで放しません。

 

清張の人生を振り返ると、何歳になっても挑戦する気持ちを持って行動すると、人生は大きく転換していくことが分かります。

年齢にこだわず何事にもチャレンジする気持ちを持ち続けたいものですね。

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